【観察記録】道民が想像する道庁と、現場の実態のズレ

公務員

関係者各位

いつも大変お世話になっております。
元道庁職員鈴木邪道でございます。
標記の件につきまして、下記のとおりお知らせいたします。

道庁は税金で食っているくせに、のんびりしている
結局、役所は市民の話なんて聞いていない

こうした声は、私が在職中も、そして退職後も、繰り返し耳にしてきました。
しかし、その多くは“誤解”に基づいています。道庁が抱える構造、制約、そして現場の実態を知らないがゆえに生まれた違和感です。

本稿では、元職員としての経験を踏まえ、「道民が想像する道庁」と「実際の道庁現場」とのズレを整理してみます。

「優雅に働いている」という誤解

外から見た道庁は、どこか静かで、落ち着いていて、ゆったりしているように映るかもしれません。

広い庁舎、整然と並ぶデスク、職員が淡々とパソコンに向かう光景…

これだけを見ると、「暇そう」「楽そう」と感じる人がいても不思議ではありません。

実態は真逆です。

職員は常に締切に追われ、照会に対応し、上司や関係部局との調整に奔走しています。国からの通知、議会対応、予算要求、住民からの問い合わせ、関係団体との協議…仕事は途切れることがありません。

問題は、その“余裕のなさ”が外からはほとんど見えないことです。

実際には、部署によっては怒鳴り声が上がり、現場は常に混乱しているのですが…

結果として、道民には「静かな職場=楽そうな職場」に見えてしまう。

そして多くの職員の表情が徐々に硬くなり、覇気を失っていく。
これまで私が繰り返し書いてきたように、「安定」の裏側で、心身をすり減らして壊れていく人は少なくありません。見た目の平穏が、実態の過酷さを覆い隠しているのです。

”全部道庁が決めている”わけではない

道民の不満の多くは、”道庁が決めた”という前提に基づいています。

しかし、実際には道庁の裁量は極めて限定的です。

多くの政策は国の制度に強く縛られています。補助金や交付金は、自治体が主体的に設計できるものではなく、国の枠組みに従って運用されるものです。財源も権限も、道庁単独で自由に使えるわけではありません。

下記は札幌市の補助金行政に関する記事です。
記事自体の争点は別の所にあるのですが、

  • 補助金をもらうために、国へ申請しなければいけない
  • 国が「OK」と言わなければ住民にとって必須なサービスでもお金はもらえない

ということを理解していただきたく引用しました。

札幌市除雪費、甘い見積もりで国の補助金減か 5年間で実績と申請額に150億円差 国交省指摘、市「不十分だった」:北海道新聞デジタル
国が指定する道路の除排雪費で札幌市が国の補助を十分に受けられず不足分を自主財源で補っていることを巡り、市の見積もりの甘さも一因になっていることが分かった。過去5年間で国土交通省に申請した見込み額が実際...

現場の職員がしているのは、”自分たちが決めた政策を実行する”ことではなく、”すでに決まっている制度を、いかに現場に適用するかを説明する”作業に近い場合が多い。

道民から見れば“冷たい対応”に映ることもありますが、それは職員の意思というより、制度の制約によるものです。

にもかかわらず、怒りの矛先はしばしば道庁に向かいます。
このズレが、相互不信を生む大きな要因になっています。

道民対応が仕事の“ごく一部”である現実

“役所は住民の話を聞かない”という批判もよくあります。

しかし、これは役所の仕事の全体像を見ていないがゆえの誤解です。

道庁職員の業務の大半は、道民対応ではなく内部調整です。

会議、資料作成、決裁、他部局との協議、国や市町村とのやり取り…こうした“見えない仕事”が圧倒的に多い。

外向きの仕事、すなわち道民と直接やり取りする業務は、氷山の一角にすぎません。

だからこそ、”話を聞いてくれない”のではなく、”物理的に時間が足りない”のが実態に近い。

さらに言えば、行政の立場から見れば、道民の意見が必ずしも的確とは限りません。

制度の前提を理解していない要求、実現不可能な要望、個別利益に偏った主張…

こうした声に逐一対応する余裕はありません。冷たい言い方をすれば、”聞く価値が低い意見”も少なくないのが現実です。

加えて、道庁は広域自治体です。札幌市役所や町役場のように、住民と密接に関わることが前提の組織ではありません。この“構造的な距離感”も、道民とのズレを生みやすい要因です。

”無能”ではなく”縛られている”

道庁職員が”無能だ”と批判されることもあります。

しかし、多くの場合、それは能力の問題ではなく、制度の問題です。

現場には”やりたくてもできないこと”が山ほどあります。制度上アウトな選択肢、前例がないことへの強い警戒、責任の所在が曖昧になるリスク…こうした壁は、個人の努力だけでは突破できません。

※私から言わせていただくと、口では上記のようなことを分析できているのに、それでも何もしようとしない、変わろうともしない、定年まで逃げ切ればいいと思っている一部の職員たちは「だから無能なのだ」と言われても仕方ないとは思いますが…

職員個人がどれだけ優秀でも、組織として動く以上、ルールに従うしかない。むしろ、ルールを無視して独断専行する職員の方が問題視されます。

その結果、”融通が利かない””杓子定規だ”と誤解されることになる。職員にとっては理不尽ですが、外から見ればそう映ってしまうのもまた事実です。

ズレが不信感を生む

こうした誤解やすれ違いが積み重なることで、道民の行政不信は強まっていきます。

道庁側の説明不足、道民側の過剰な期待、制度の複雑さ…それらが絡み合い、”役所は信用できない”という感覚ばかりが醸成されていく。

しかし忘れてはならないのは、現場の職員もまた疲弊しているということです。彼らは決して道民を敵視しているわけではない。むしろ、板挟みに苦しみながら職務を遂行している人が大半です。

道民と道庁の間にあるズレは、単なる認識の問題ではありません。制度、組織、役割分担そのものが生み出した構造的な距離なのです。

おわりに

道民が抱く違和感は、決して的外れではありません。
しかし、その違和感の背景には、道庁という組織の特性と限界が存在します。

必要なのは、”役所が悪い”と一方的に断じることでも、”職員は頑張っている”と甘やかすことでもない。お互いの立場と制約を理解し、どこに問題の根源があるのかを冷静に見極めることです。

その第一歩として、本稿が少しでも役に立てば幸いです。

以上、道民が想像する道庁と、現場の実態のズレについてお知らせいたしました。
何卒よろしくお願い申し上げます。

令和8(2026)年1月16日

北海道庁生存戦略部
異端企画局
内部是正推進課非公式記録整理係
主事 鈴木邪道

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