【通知】北海道庁を辞めた経緯につきまして

行政組織・公務員

追記(2026年9月)

本記事は2025年11月11日に、北海道庁を退職した経験を振り返って執筆したものです。実名での発信へ移行するにあたり、当時の問題意識を残しながら、個人や特定部署への不必要な断定を避け、現在の視点から一部表現を整理・加筆しています。

関係者各位

いつも大変お世話になっております。
元道庁職員の白川部けいたでございます。

標記の件につきまして、下記のとおりお知らせいたします。

道庁での4年間――配属と仕事

最初に、入庁から退職までの仕事を簡単に振り返ります。なお、具体的な部署名や、個人が特定され得る情報については必要以上に記載しません。

入庁1年目は、本庁のある部局で、部内の調整事項を取りまとめる総務系の係に配属されました。各課からの照会対応、職員の福利厚生、議会対応など、いわば「庶務の何でも屋」です。入庁直後としては多くの情報が集まる場所でしたが、当時の私は「行政の現場を支える裏方業務だ」と前向きに捉えていました。

一方で、仕事を覚えるにつれ、「これは何のための手続なのか」「ここまで細かく確認や決裁を重ねる必要があるのか」と疑問に思う場面も増えていきました。行政には記録や説明責任が必要ですし、手続そのものを否定するつもりはありません。ただ、目的よりも形式を整えることが先に立っているように感じる仕事があったのも事実です。

入庁3年目には、再び同じ系統の係に戻りました。一度経験した仕事が多かったこともあり、この時期は比較的余裕を持って働くことができました。年度後半には、当時進められていたDX関連の取組の一環として職場レイアウトの変更に関わったり、必要な事務費を確保するための予算折衝を行ったり、民間事業者のショールームを見学したりもしました。

道庁での仕事がすべて苦痛だったわけではありません。自分で考え、周囲と調整し、新しいことを形にしていく仕事には面白さもありました。だからこそ、後に感じるようになった組織上の問題との落差も大きかったのだと思います。

予算業務で感じた「人を育てる」という課題

話が前後しますが、入庁2年目には、同じ課の予算関係の係へ配置換えとなり、複数の事業予算や国への要望に関する業務を担当しました。この1年間は、短い公務員生活の中でも特に大きな転機でした。

年度当初は決算や繰越しなどの処理が集中し、初めて触れる制度や用語を覚えながら、大きな予算規模を扱う実務を短期間で身につけることを求められました。もちろん最終的な判断や決裁は上司や組織が行います。しかし、経験の浅い職員が実務の中心を担いながら、十分な教育や体系的な引継ぎがないまま仕事を覚えていくことには強い不安を感じました。

予算要求の時期になると、財政規律を重視する財政課と、事業を進めるために予算を確保したい原課との間で調整することになります。どちらにもそれぞれの論理があります。私はその間に立ちながら、「財政を守ること」と「政策を実現すること」をどう両立するのかという難しさを初めて実感しました。

年末の予算編成でも、前年踏襲の作業や一律的な削減目標に追われる中で、「そもそも何のための予算なのか」を考える余裕が失われているように感じることがありました。

今振り返れば、問題は若手に難しい仕事を任せること自体ではありません。挑戦できることは成長の機会にもなります。私が疑問を持ったのは、難しい仕事を任せる一方で、それを学ぶための仕組みが個々の上司や先輩の力量、本人の自助努力に大きく依存していたことです。行政組織が人を育てるとはどういうことなのか。この頃から考えるようになりました。

振興局勤務で考えた「権限と責任」

入庁4年目には、初めて地方の振興局へ異動し、防災関係の仕事を担当しました。防災は住民の生命や安全に関わる重要な行政分野です。

実務では、警報等が発表された際に参集し、市町村や関係機関から情報を集約して、国や道庁内部へつなぐ連絡調整が大きな役割でした。情報を一元的に集め、共有すること自体には意味があります。

一方で、現場を直接動かす権限は限られています。現場対応に追われている自治体等へ状況確認を重ねながら、こちらでは報告資料を整える。その過程で私は、「何のために情報を集めているのか」「報告を完成させること自体が目的になっていないか」と疑問を持つことがありました。

これは防災業務が不要だという意味ではありません。むしろ重要な仕事だからこそ、どの組織が何を判断し、誰がどの責任を負うのかを明確にする必要があります。責任を求められる一方で、自ら判断できる範囲が限られている。その権限と責任のずれに、私は強い違和感を覚えるようになりました。

そして入庁4年目の冬、私は北海道庁を退職しました。

私が違和感を持った行政組織の文化

4年間の勤務を通じ、個々の業務以上に気になったのは、組織の意思決定や仕事の進め方でした。ここから先は、あくまで私が経験した範囲で感じたことです。北海道庁のすべての部署や職員に当てはまる話ではありません。

まず、行政では将来の判断を縛らないよう、発言や文書の表現を慎重に整えることが重視されます。議会答弁や会議資料でも、事前に表現を細かく調整する場面を何度も経験しました。行政として必要な慎重さである一方、それが行き過ぎれば「誰も断言しない」「誰が判断したのか分からない」という状態にもつながります。

また、部局間の縦割りも強く感じました。それぞれが担当業務と予算を守ろうとするため、同じ道庁の中でも情報共有より先に「どの部局の立場なのか」が意識されることがあります。私自身、事業の内容を確認していた際に原課の担当者から「財政側の立場なのか」という趣旨の言葉を向けられたこともありました。

人事面でも気になったことがあります。昇任や転勤を避けることを合理的な選択だと考える同世代の職員がいることに、私は驚きました。

しかし、これを単純に「やる気のない職員の問題」と片付けるべきではないとも思います。責任を引き受けるほど負担が増え、挑戦するメリットが感じにくい組織であれば、リスクを取らないことが合理的な選択になってしまいます。

さらに、地方自治の制度上は自治体の自主性が重視されていても、実務では国の制度、通知、財源措置に大きく左右されます。その結果、「国の方針が出るまで待つ」という姿勢が生まれやすいことにも違和感がありました。制度上の地方分権と、実務上の政策判断の自立性は、必ずしも同じではありません。

こうした経験から、私は行政の問題を個々の職員の資質だけで説明するのではなく、意思決定、責任、評価、人事、財源といった組織の仕組みとして考える必要があると思うようになりました。

道庁を辞めるという選択

退職を決めた時期、私は道庁で働きながら転職活動を進めていました。約2か月の活動を経て複数の企業から内定をいただき、最終的に札幌に拠点を持つ民間のリサーチ・シンクタンク系企業へ転職しました。

退職手続の際には、有給休暇に入るまでの期間が迫っていたこともあり、所属から「もう少し早く相談してほしかった」という趣旨の話をされました。また、提出した書類について正式な様式への書き直しを求められました。

組織として必要な手続や引継ぎがある以上、所属側の言い分にも当然理由があります。今ならそう理解できます。

ただ、当時の私は、手続の説明以上に「なぜ辞めることになったのか」「何に苦しんでいたのか」を少しでも聞いてほしかったのだと思います。最後まで手続の話が中心だったことに、組織と自分との距離を改めて感じました。

それまで私は、組織に対して「もっと変わってほしい」と強く期待していました。しかし退職時には、その期待自体を手放し、自分の人生を自分で動かす方に力を使おうと思うようになっていました。

退職して分かった「組織に依存しない」ということ

転職後、働く環境も評価のされ方も大きく変わりました。結果として収入面も改善し、「地方公務員は潰しが利かないから、民間への転職は難しい」という自分自身の思い込みもなくなりました。

それ以上に大きかったのは、「自分の人生は自分で選べる」という感覚を取り戻したことです。

私にとって退職は、単なる逃避ではありませんでした。自分に合わない環境に居続ける以外にも選択肢があると知り、仕事や生き方の主導権を取り戻すための決断でした。

もちろん、公務員として長く働くことにも大きな価値があります。道庁でやりがいを感じながら働いている職員も大勢います。彼らがいるから道庁が成り立っています。だから「辞めるのが正解」「残るのが間違い」「辞めることが出来る人は能力がある人」「残る人は決断力がない人」という話では全くありません。

私が伝えたいのは、配属や上司との相性だけに自分の社会人人生を預けなくてもよい、ということです。組織の中で改善を目指す道もあれば、環境を変える道もあります。重要なのは、自分自身が選択できる状態を持つことだと思っています。

それでも行政について書き続ける理由

今振り返っても、「あの時、あのタイミングで辞めて良かった」という気持ちは変わりません。

一方で、道庁を辞めたからといって、行政そのものへの関心までなくなったわけではありませんでした。むしろ外に出たことで、「なぜあの仕事はあの進め方だったのか」「どうすれば行政組織はもっと良くなるのか」を以前より考えるようになりました。

私が道庁勤務を通じて最も強く感じた問題は、「誰が判断し、誰が責任を負うのか」が曖昧になりやすい組織構造です。制度や前例、手続は行政に不可欠です。しかし、それらを守ること自体が目的になれば、本来その制度によって実現したかった住民生活の改善が見えなくなります。

制度のために人がいるのではなく、人や社会のために制度がある。本来は、その順序であるはずです。

この記事を読んで、「辞めた人間が昔の職場を批判しているだけだ」と感じる方もいると思います。そう見える部分があることも否定しません。実際、退職直後の私は強い怒りを抱えていました。

ただ、このブログを愚痴の掃きだめで終わらせるつもりはありません。元職員として批判するだけではなく、行政や地方自治、地域政治を外から学び、具体的に何を変えればよいのかを考え続けたいと思っています。

北海道庁は、北海道の将来に大きな責任を持つ行政機関です。だからこそ、良いところは評価し、問題があるところは問題だと言う。そして、自分自身も地域の中で何ができるのかを考える。

退職した経験を、単なる過去の不満として終わらせず、これから行政や地域について考えるための出発点にしたい。それが、今この文章を残しておく理由です。

以上、北海道庁を辞めた経緯についてお知らせいたしました。

何卒よろしくお願い申し上げます。

令和7(2025)年11月11日

※この記事は、元道庁職員としての個人的体験と見解に基づいています。
行政・公務員の世界に関心のある方の参考になれば幸いです。

コメント

  1. 北の役人 より:

    初めまして。私は定年となった元道職員です。 鈴木 邪道さんが4年間で経験された道庁組織について
    冷静な分析と提言をされていることに感心しました。

    >>道庁は、北海道の未来を背負うべき行政機関だ。 だからこそ、今のままではいけない。

    私も、鈴木 邪道さんと同様に、多少は愚痴を含めてNOTEで情報発信していますので、手が空いたときにでもご訪問ください。

    • 白川部けいた 鈴木 邪道 より:

      コメントありがとうございます。
      もう1つのコメントも読ませていただきました。
      定年まで道庁で勤め上げられた方からこのようなお言葉をいただき、大変励みになります。

      ご指摘の「変えようとすると必ず反対する人間がいる」
      という点、まさに私自身が最も強く感じた部分です。

      また、事務の進め方やアプローチを変えるだけで、長年停滞していた案件が短期間で片付くというご経験談は、現場を知る者でなければ書けない、非常に示唆に富むお話だと思いました。

      私自身は在職期間も短く、見えていない部分も多いと思っていますが、
      「工夫しないことが常態化してしまっている組織文化」
      については、世代を超えて共通する課題なのだと改めて感じましたし、たかが4年といえど、それなりの修羅場を経験した自負と、毎日毎日悩み考えて仕事をしてきた自覚ゆえ、自分の経験談を書いて行こうと決めた次第です。

      実はnote、自身でブログを始める前後に発見しておりまして読ませていただいております(*^_^*)
      同じ立場を経験した者同士として、今後もこうした議論ができれば幸いです。

      引き続きよろしくお願いいたします。

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