【考察】公務員が“冷笑的”になる構造的理由につきまして

公務員

関係者各位

いつも大変お世話になっております。
元道庁職員鈴木邪道でございます。
標記の件につきまして、下記のとおり考察いたします。

「冷笑」は性格ではなく“環境の産物”

「公務員は冷たい」「役所の人間は斜に構えている」

そう感じたことがある方は多いと思います。

しかし、最初から冷めた人間ばかりだったかと言われれば、決してそんなことはありません。
少なくとも私が見てきた範囲では、入庁当初は真面目で、やる気があり、どこかで「副知事」や「振興局長」といった将来像をぼんやりと思い描いている職員が大半でした。

それが、数年も経つとどうなるか。

皮肉を言うようになり、感情を表に出さなくなり、何事にも距離を取るようになります。
これは性格の変化ではなく、環境への適応です。

行政の世界では、情熱やパッションは評価基準になりません。
むしろ、感情を出すほど「扱いづらい」「面倒な人間」と見なされる傾向すらあります。
行政ルールの前に、個人の思いや熱量が考慮されることはほとんどありません。

人を信じ、組織を信じ、善意で動くほど消耗していく。

周囲を見渡すと、皆が定年まで「いかに味噌を付けないか」だけを考えている。
そうした環境の中で、冷笑は自然と身についていきます。
それは諦めではなく、防衛反応なのです。

善意が裏切られる経験の蓄積

冷笑が形成される最大の要因は、「善意が裏切られる経験」の積み重ねです。

改善提案を出せば、「余計な仕事を増やすな」と言われる。
正論を言えば言うほど、敵が増える。
「やらなくていいことをするな」「書かれていないことはするな」という無言の圧力が常にかかります。 この組織では、成果よりも「波風を立てないこと」が評価されます。
問題を指摘する人間より、黙って従う人間の方が安全です。
その結果、職員は学習します。

期待しない方が楽だと。

最初は「おかしい」と感じていたことも、何度も裏切られるうちに、感じなくなります。
冷笑は、その結果として身につく“合理的な態度”なのです。

責任と裁量が釣り合っていない

もう一つ、冷笑を加速させる要因があります。
それは、責任と裁量がまったく釣り合っていないことです。

責任は重い。
しかし、決定権はない。
判断は上が行い、尻拭いは下がする。
手柄は議会に行き、高評価は知事に帰属し、低評価だけが「道庁」や「現場職員」に貼り付けられる。

成功しても評価されない。
失敗した時だけ名前が出る。

この構造の中で、何に期待すれば良いのでしょうか。
期待を捨てることでしか、精神を保てない。
冷笑は、ここでも自己防衛として機能します。

「どうせ変わらない」という学習

公務員が冷笑的になる最大の理由は、
「どうせ変わらない」という学習を繰り返してしまう点にあります。

制度改革は、しばしば形だけで終わります。
支庁が振興局に変わった例は、その象徴でしょう。

看板は変わっても、中身はほとんど変わらない。

トップが変わっても、現場は変わりません。
高橋道政から鈴木道政に変わっても、議会での台本読み上げは変わらない。
そもそも、トップ自身が本気で変えようとしていない場面も多々あります。
原発再稼働やJR北海道問題を見れば、それは明らかです。

改善はイベント化し、一過性で終わります。
そして職員は理解します。

知事はせいぜい16年。
しかし、職員個人は40年この組織にいる。

変わらない前提で動く方が、圧倒的に合理的なのです。

冷笑は、ここでも生存戦略として選ばれます。

しかし、それは公務員は安定しているから良いね」と言えるのでしょうか。

冷笑が組織全体に伝播する

冷笑は個人で完結しません。
組織全体に伝播します。

新人は先輩の態度を学習します。
病休や昇進拒否といった制度を、巧妙に使いこなす(ごく一部の悪質な)先輩職員を見て育ちます。
熱量を持つ人間は浮き、やがて去っていく。

結果として、冷笑が文化になります。

誰も本気で怒らない。
誰も本気で良くしようとしない。

それは怠慢ではありません。
合理性の果てにたどり着いた、組織の安定状態です。

公務員が冷笑的なのは、性格の問題ではありません。
構造の問題です。

この環境に置かれ続ければ、誰でも同じ態度を身につけます。
冷笑は、諦めではなく、適応です。

それを変えない限り、どれだけ「改革」や「意識改革」を叫んでも、結果は変わりません。

以上、公務員が冷笑的になる構造的理由について考察いたしました。
何卒よろしくお願い申し上げます。

令和7(2025)年12月25日

北海道庁生存戦略部
異端企画局
内部是正推進課非公式記録整理係
主事 鈴木邪道

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