【検証】なぜ道庁の決裁文書は「存在するのに中身がない」のか

公務員

関係者各位

いつも大変お世話になっております。
元道庁職員鈴木邪道でございます。
標記の件につきまして、下記のとおりお知らせいたします。

決裁文書は残っているのに、中身が無いという怪現象

道庁の文書管理は、少なくとも形式だけを見れば厳格です。
文書番号は付番され、決裁日も明記され、誰が確認したかも分かる。
外から見れば、“きちんと行政が動いている”ように見えるはずです。

ところが、いざ過去の案件を振り返ろうとすると、不思議な現象に何度も遭遇しました。
“決裁した事実だけは残っているのに、なぜその判断に至ったのかが分からない”

「要請はした」「実施はした」「対応は検討した」
この結果だけが決裁文書として存在し、
その裏にあるはずの検討経過、比較材料、現場の判断メモがどこにも見当たらないのです。

特に振興局勤務時代、過去の災害対応や派遣要請の案件を追おうとして、“決裁文書はあるのに、中身が空洞”という状態を何度も目の当たりにしました。

とにかく“決裁”さえ通れば良い文化

なぜこうなるのか。
理由は単純で、この組織では“決裁を通すこと”自体が目的化しているからです。

結論だけを急ぎ、とにかく押印をもらう。
背景説明や検討プロセスは後回し。
というより、最初から決裁が下りること前提のアリバイ作りです。

上司が見るのは、

  • 何をしたか
  • 問題が起きていないか

それだけです。

  • なぜその判断をしたのか
  • 他に選択肢はなかったのか

そういった問いは、決裁文書の外に追いやられます。

政策でも、災害対応でも、土地取得でも、根拠を残すことが組織文化として重視されていない。
“決裁さえ通れば、その案件は終わったもの”として扱われます。

検討資料が口頭・電話・メモ紙で消える

特に災害対応では、この傾向が顕著です。
やり取りの中心は電話。
時間との勝負なので、それ自体は仕方ありません。

しかし、その内容はどうなるか。
メモ用紙への走り書き、付箋、手帳への殴り書き。
それで終わりです。

それらが正式な文書に格上げされることは、ほぼありません。
誰かの机の上で、あるいはゴミ箱の中で消えていきます。

結果として残るのは、
“決裁文書だけがポンと存在する”状態。
後から見れば、

  • なぜこの判断をしたのか分からない
  • 当時、何を前提に動いていたのか見えない

そういう“空洞”が生まれます。

担当者の“経験値依存”構造

さらに問題なのは、“判断が個人の経験値に極端に依存している”点です。

係長やベテランが
「これでいい」
「今までもそうだった」

その一言で話が進みます。

若手が「根拠は何ですか?」と聞いても、
返ってくるのは
「そんなものは無い」
あるいは
「今さら言うな」です。

ところが、その状態をそのまま主幹に説明すると、
「根拠が無いのはおかしい」と怒鳴られる。

係長は「無い」と言う。
主幹は「あるはずだ」と言う。
板挟みになるのは主事や主任といった20~30代前半代の担当者です。両方に挟まれて疲弊します。
そして、この溝が埋まらないまま、“中身のない決裁文書だけが量産される”のです。

災害対応なのに“データ文化”が弱すぎる

遭難、山火事、油漏れ…
突発案件が多いからこそ、本来は

  • 時系列
  • 判断ポイント
  • 情報の変遷

を残す必要があります。

しかし、実態は真逆です。
“文書管理システムに無いものは、存在しない”扱い。
一方で、

  • 紙ファイルの奥
  • 係長の机の引き出し
  • 個人の手帳

あちこちに情報が散乱しています。

結果、

  • 引き継ぎができない
  • 認識がズレる
  • 過去事例を活かせない

災害対応なのに、改善サイクルが回らない構造になっています。

この一番の問題は、責任論ではありません。
検証できないことです

  • なぜそう判断したのか
  • 別の選択肢はなかったのか
  • 次に同じ事案が起きたらどうするか

これらが未来に残らない。
係が変われば分からない。
人が変わればゼロから。
“災害系の仕事なのに、学習しない組織”になっています。

昨今話題に上がっている政府の“防災庁構想” についても、少なくとも北海道庁の現行構造を前提とすれば、同様の組織を実効的に運用するのは極めて困難だと感じます。

それでも「決裁文書だけ」は完璧に残るという皮肉

皮肉なことに、決裁文書の形式だけは完璧です。

なぜなら、それは

  • 監査
  • 議会
  • 行政手続

に耐える“証拠”になるからです。
だから形式は守られる。押印も、日付も、文書番号も完璧。

しかし、行政として一番大事であるはずの“中身”は、誰も見ていない。
このアンバランスこそが、象徴的です。

文書は“残すために作るのではない”

文書は、残すこと自体が目的ではありません。

未来の判断材料にするためにあるはずです。
決裁欄を埋めるためだけの書類から、“なぜそう判断したのか”を残す文化へ。

行政に必要なのは、形式ではなく実質です。
少なくとも、私は現場でそう痛感しました
決裁文書が存在するのに、中身がない。
それは偶然ではなく、構造の結果です。

以上、北海道庁の決裁文書の構造的問題についてお知らせいたしました。
何卒よろしくお願い申し上げます。

令和7(2025)年12月21日

北海道庁生存戦略部 
異端企画局 
内部是正推進課非公式記録整理係 
主事 鈴木邪道

コメント

  1. 北の役人 より:

    >>その裏にあるはずの検討経過、比較材料、現場の判断メモ
    なぜそう判断したのか
    別の選択肢はなかったのか
    次に同じ事案が起きたらどうするか

    “災害系の仕事なのに、学習しない組織”
    お送りした資料は、災害関係ではありませんが、補助金と許認可の関係を検討した際の資料です。
    昔、清水町での鳥インフルエンザ対応は、まさにそういったことを作成していなかったようです。

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