【通知】庁舎の掲示物が多すぎて誰も読んでいない問題につきまして

北海道庁

関係者各位

いつも大変お世話になっております。
元道庁職員鈴木邪道でございます。
標記の件につきまして、下記のとおりお知らせいたします。

あの壁一面の「謎ポスター群」は何なのか

役所に勤めたことがある方なら、一度は思ったことがあるでしょう。

「庁舎の壁、ポスター貼りすぎ問題」です。

廊下、エレベーター前、階段、執務室の中。
視界に入るところすべてが、
「助け合い週間です」
「セクハラ・パワハラ防止」
「飲酒運転根絶」
「個人情報保護の徹底」
「年度末の物品発注は計画的に」

といった おなじみのスローガン で埋め尽くされるあの光景。

しかも、同じような内容を言い回しだけ変えて3種類くらい貼る。
貼る側も読む側も誰も得していないのに、なぜか毎年増えていく。
これはもう文化というか、宗教的儀式に近いものがあります。

掲示物が増え続けるのは“責任回避の儀式”だから

では、なぜ庁舎の掲示物はこうも増殖するのでしょうか。
理由は単純で、責任回避の道具として便利だからです。

「掲示しました=対策しました」の構造

たとえば、パワハラやコンプラ問題が起きたとします。
すると管理職は「再発防止に努めます」と言います。
ここで最初にやるのが ポスターの貼り増し です。

  • 実質的な改善:0
  • “努力した感”:100

これが庁舎文化の強いところで、 ポスター掲示は“免罪符”として扱われているのです。

読む人間は想定されていない

真面目に考えると、あれは “職員に注意喚起するため” のはずですが、
実態はまったく逆です。

  • どうせ誰も読まない
  • 読ませる気もない
  • しかし貼った痕跡だけは残る

つまり、“誰も読まなくていいが、貼った事実だけ欲しい”のです。
この時点で、掲示物が情報ツールではなく、
完全に“行政儀礼”と化していることが分かります。

庁舎内の“縦割り”による地層化現象

行政あるあるですが、 “自分の担当分だけ責任を回避したい”という心理が働きます。

各課が「自分の分」だけを貼り、誰もその他全体を見ない

  • 防災
  • 総務
  • 財政
  • 監査
  • 人事
  • 情報管理
  • 労務
  • 福利厚生
  • 災害対策
  • 交通安全
  • 行革

それぞれの部署が、「うちの啓発ポスターを貼っておけ」と言うわけです。
そしてさらに悪いのが、誰も剥がさないことです。
結果、職場の壁には、 5年前の色褪せたポスターが地層のように残り続けます。

「貼って終わり」文化の悲劇

ポスターの9割は年度単位のものですが、 年度が替わっても外す担当が決まっていないため、 そのまま残ります。

「去年のポスターだけど、新しいのは来てないしまあいいか…」
「あれ?これ誰が貼ったやつ?」
「剥がすと怒られるかも…」

結果、何も判断されず、何も整理されず、ただ増える。
まるで、自治体版“負の遺産循環システム”です。

象徴的だった振興局の掲示物地獄

私はとある振興局で勤務していた頃、 この「掲示物文化」の最も濃い部分を見ました。

廊下の「掲示板」が機能していない

振興局庁舎は構造上、廊下が長く、掲示スペースも多い。
しかし、それをよいことにとにかく何でも貼る。

  • 台風被害の啓発資料
  • 各市町村のイベント案内
  • 警察の交通安全チラシ
  • 消防の広報
  • 選挙管理委員会のPR
  • 警戒レベルの説明図
  • なぜか10年以上前の「洞爺湖サミットポスター」

そして誰も読まない。
正直、郷土資料館の「昔の農具」展示のほうがまだ整理されています。

当の職員はどうしていたか

職員の9割は、掲示物を見ていません。
私の周りでも、あの壁を読んでいる人を見たことがありません。
ある同僚はこう言いました。
「あそこに貼るものは全部、“見なくていい情報”だから貼ってるんだよ」
この言葉には深く頷くしかありませんでした。

本庁は本庁で「資料掲示のブラックホール」

本庁でも同じ構図はあります。
特に本庁は、
“資料の海” “通知の山” “照会の森”
の三重苦であり、掲示物の量は振興局以上です。

なお、本庁と振興局の働き方や空気間の違いについての詳細は、以前記事にしています。

数よりも“新しい資料に埋もれる”

本庁では各部局間の調整が多いため、とにかく資料の掲示が早い・多い・雑

  • 国から来た通知
  • 他部からの依頼文
  • 議会日程
  • 財政課の締切
  • 内部連絡
  • 会議次第
  • パブコメの結果
  • 緊急連絡
  • 緊急連絡(緊急じゃない)

これらが「とりあえず貼っておいて」と処理され、 最終的には 新しい紙が古い紙の上に貼られる という構造になります。
剥がすという概念は存在しません。

恐ろしいのは「貼っても誰も困らない」こと

ここまで読むと、 「非効率すぎるのでは?」と思われるかもしれませんが、実はこの文化が続く最大の理由は、
貼っても貼らなくても誰も困らないから。
行政は“成果”より“手続”に意味を見出す組織です。
そのため、

実際に注意喚起できたか
行動が改善されたか

ではなく、

掲示手続を履行したか

のほうが重視されます。
つまり、掲示物とは“やってる感の具現化”なのです。では、どう改革すべきか

本気で改善するなら、

  1. 掲示物の総量規制(道庁全体が1年間で作成する量)
  2. 掲示期間の明確化と、自動的な撤去ルール
  3. 全課をまたぐ「掲示管理担当」の設置
  4. 電子掲示板への移行
  5. 読ませるためのデザイン統一
  6. 「貼ることで責任回避」を許さない運用

などが必要ですが……
ここまで読んだ方ならお分かりでしょう。

誰もやりません。

なぜなら、
“現状維持が最も楽”だからです。

というか、掲示物の管理はポストを作って給料を出すようなものではありません。
そんなことをするくらいなら、道民と1人でも多くお話しするべきです。

行政の掲示物は、職員の表情よりも無表情である

結局のところ、庁舎の掲示物は、行政組織の“責任回避と惰性”が可視化されたものです。

  • 誰も読まない。
  • 誰も管理しない。
  • でも、誰も困らない。

その意味で、庁舎の掲示物とは、
「行政文化の墓標」
と言っても過言ではありません。

私が退職して振り返ると、毎朝見ていたあのポスターの海は、もはや“行政の風景”というより、“行政の象徴”だったのだと思います。

以上、庁舎の掲示物が多すぎて誰も読んでいない問題についてお知らせいたしました。
何卒よろしくお願い申し上げます。

令和7(2025)年12月12日

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北海道庁生存戦略部
異端企画局
内部是正推進課非公式記録整理係
主事 鈴木邪道
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