【照会回答】単年度予算主義が生む“使い切り文化”について

行政組織・公務員

関係者各位

いつも大変お世話になっております。
元道庁職員の白川部けいたでございます。

前回の記事更新から、気が付けば一か月以上空いてしまいました。
年度替わりに伴う本業や地域活動等で慌ただしくしておりましたが、その間にも当ブログへは様々なご意見・ご質問をいただいておりました。
更新停止中にも関わらず読んでくださっていた皆様には、改めて感謝申し上げます。

それでは改めて、下記のとおりお知らせいたします。

いただいた照会(コメント)について

さて、標記の件につきまして、先日当ブログに興味深いご質問を頂きました。
内容としては、年度末に見られる“予算の使い切り文化”についてです。

  • なぜ予算返納が歓迎されないのか
  • なぜ翌年度へ柔軟に繰り越せないのか
  • 財政危機感は現場に共有されているのか
  • なぜ前年実績ベースの予算要求が繰り返されるのか

いずれも、行政組織を外から見れば素朴かつ当然の疑問だと思います。
実際、民間企業的な感覚からすれば、

  • 不要なら返す
  • 必要な時に追加で取る
  • 会社の経営危機は社員全員で意識共有

という発想の方が自然でしょう。

しかし、行政組織、とりわけ地方自治体の予算制度は、民間企業とはかなり異なる原理で動いています。
そして、その制度や予算査定の運用が、“使い切り文化”と呼ばれる行動を、現場にとって合理的な選択肢にしてしまう側面もあると、私は考えています。
本稿では、単なる“役所の無駄遣い批判”ではなく、単年度予算主義や査定文化、そして本庁と現場の温度差といった観点から、この問題を整理してみたいと思います。

【制度点検】北海道の冬と単年度予算は相性が悪いのか
追記(2026年9月) 本記事は2025年12月9日に、北海道庁で予算関係業務に携わった経験をもとに執筆したものです。実名での発信へ移行するにあたり、当時の問題意識を残しつつ、地方自治体の予算制度について不正確だった記述を修正し、現在の視点…

なぜ“返納”が嫌われるのか

まず前提として、現場の職員や管理職が「税金を無駄遣いしてやろう」と考えているわけではありません。
むしろ多くの場合、問題は個人のモラルではなく、一職員レベルで見ると“制度上そう行動した方が合理的”になっている点にあります。

典型的なのが、翌年度査定との関係です。
例えば年度末に100万円の執行残が出た場合、本庁財政部門や査定側から見れば、「昨年度はその分不要だった」と判断される可能性があります。
すると翌年度の予算要求や査定では、少なくとも「なぜ前年に不用額が生じたのか」「今年度も同額が必要なのか」という説明を求められる材料になります。

私自身の在職時の感覚を会話風に表現するなら、

財政課
財政課

昨年余していましたよね?

という形で減額圧力がかかる。
この感覚は、現場管理職にとって非常に重いものです。

原課担当者①
原課担当者①

今年はたまたま使わなかっただけなんです

原課担当者②
原課担当者②

来年は必要になるかもしれません

そう説明しても、一度減った配当を戻すのは簡単ではありません。

結果として、現場では

原課担当者②
原課担当者②

多少余っていても、今年度内で処理しておいた方が安全。そういえば紙ファイルが足りない気がするな…3月にまとめて買うか。

という行動原理が生まれます。

少なくとも私が勤務していた当時の現場感覚としては、管理職にとって
「予算を不足させず、大きく余らせず、事故なく年度を終える」
ことには相応の安心感がありました。

予算を大きく余らせず、逆に不足も起こさず、特段問題も起こさない。
行政組織では、新しいことに挑戦すること以上に、「予算・事業を予定どおり執行し、問題なく年度を終えること」が重視されやすい場面があります。
つまり、“使い切り文化”とは、放漫財政というよりも、単年度査定と減額リスクへの防衛反応として形成されている側面が強いのです。

単年度主義という制度

では、なぜ「今年余った予算を、来年必要な案件へ柔軟に回す」という発想になりにくいのでしょうか。
ここで関係してくるのが、官公庁特有の“単年度予算主義”です。

地方自治体の予算は会計年度を単位として編成・執行され、原則として年度ごとに完結する仕組みになっています。

したがって、「今年余った予算を、そのまま自部署で貯めて来年度使う」という民間企業の内部留保のような発想は、一般会計の通常の予算執行とは馴染みません。
もちろん例外制度は存在します。
代表的なのが、

  • 繰越明許、事故繰越
  • 債務負担行為
  • 継続費

といった制度です。
例えば、

  • 年度内に工事が終わらなかった
  • 物品調達が間に合わなかった

といった場合には、一定条件のもと翌年度へ予算を繰り越すことが可能です。

ただし、実務上このハードルは決して低くありません。というかかなり高いです。
繰越理由の整理、財政当局との協議、議会対応、事務処理…
特に本庁主計部門との調整はかなり重く、慣れていない部署ほど心理的負担も大きい。
北海道庁の場合、比較的このノウハウを持っているのは、いわゆる“北海道発注3部”

です。

これらの部局は大型公共事業や国庫補助事業を多く抱えているため、年度跨ぎの執行や繰越事務に比較的慣れています。
一方、それ以外の部局では、繰越そのものが“前代未聞の特殊処理”に近い感覚で扱われることも少なくありません。
結果として、
「来年度エアコン更新が必要だから今年は返納しておこう」
ではなく、
「今年度中に執行できる範囲で“何とか”処理した方が安全」
という判断になりやすい。

もちろん制度上は繰越可能なケースもあります。
しかし実際の現場では、“制度として存在する”ことと、“気軽に使える”ことは全く別なのです。
その結果、単年度主義は単なる会計ルールを超えて、“今年の予算は今年で消化する”という組織文化として定着していきます。

本庁と振興局・出張所の温度差

さらに厄介なのは、この“予算に対する感覚”が、組織内でも必ずしも一致していないことです。

例えば本庁の財政部門、いわゆる査定側からすると、執行残そのものは必ずしも悪ではありません。
むしろ近年は財政状況の厳しさもあり、
「不要な執行は抑えてほしい」
という意識は確実に存在しています。

実際、自治体によっては、節約や財源確保を部局側のメリットにつなげる仕組みを設ける例もあります。財政部門としても、単純に「使い切ればよい」と考えているわけではありません。

つまり、「工夫して節約した部署が得をする」
方向へ少しずつ誘導しようとはしているわけです。

しかし、少なくとも私が勤務していた当時、その考え方と現場職員の予算感覚との間には、なお温度差があるように感じていました。
各部や振興局、さらにその出先機関レベルになると、現場感覚は全く異なります。

現場から見えるのは、

現場①
現場①

前年より減らされた

現場②
現場②

要求が通らなかった

現場③
現場③

急な案件に対応できなかった

という記憶の方だからです。
結果として、

  • 返納してもどうせ翌年減らされる
  • だったら使っておいた方が安全

という防衛的行動が維持される。
ここに、組織内で“最適化の方向が違う”という問題が生じます。

本庁財政部門は、全庁最適として歳出抑制を進めたい。
一方、現場管理職は、自部署の安定運営を優先したい。
どちらも立場としては合理的です。
しかし、合理性の方向が違う。
その結果、組織全体としては、「節約した方が得」というメッセージが出されながら、現場では「不用額を出すと翌年度の予算確保が難しくなるのではないか」という警戒感が残りやすくなります。

これはある意味、北海道庁という巨大組織の縮図でもあります。
本庁では改革や全庁最適が議論される。
一方、現場では「まずは今年度の業務を確実に回す」という合理性が働く。

制度改革が進まない理由は、必ずしも誰か一人が怠慢だからではありません。
組織内で見えている景色そのものが違うのです。

【観察記録】本庁と振興局で働いて感じた“決定的な違い”につきまして
追記(2026年9月) 本記事は2025年12月10日に、北海道庁の本庁と振興局の双方で勤務した経験をもとに執筆したものです。実名での発信へ移行するにあたり、当時の問題意識を残しつつ、特定の職員や所属を評価するように読める表現を整理し、本庁…

本当に問題なのは“無責任”なのか

ここまで見てきたように、年度末の“使い切り文化”は、単純なモラルの問題ではありません。
もちろん、中には本当に不要な物品購入や、首を傾げたくなる執行も存在するでしょう。
しかし少なくとも、多くの現場職員や管理職が「税金を無駄遣いしてやろう」と考えて動いているわけではありません。
むしろ実態としては、

  • 単年度予算主義
  • 翌年度査定への警戒
  • 繰越制度の運用ハードル
  • 本庁と現場の温度差

といった制度・組織構造の中で、“そう行動する方が安全”になっている面が大きい。
特に行政組織では、「失敗を避け、事業を確実に執行すること」の優先順位が高くなりやすいと私は感じています。
新しい挑戦で評価されるよりも、問題なく前年通り終えることの方が重視されやすい。
結果として、
「余らせて査定で不利になるくらいなら執行しておく」
という行動原理が、半ば組織防衛本能として定着していきます。
そして厄介なのは、この構造が長年積み重なることで、“文化”として固定化されていくことです。

若手職員も最初から浪費的な発想を持っているわけではありません。
しかし数年働くうちに、

  • そういうものだ
  • 去年もこうしていた
  • 下手に余らせる方が危ない

という空気を学習していく。
つまり、“使い切り文化”とは、誰か一人の悪意というよりも、制度と組織行動の積み重ねによって形成された行政文化に近いものなのです。
だからこそ、この問題を単なる「役所の無駄遣い」として批判し、緊縮的な予算編成を訴えても、本質には届きません。

重要なのは、「なぜそういう行動が合理化されるのか」という構造を見ることです。
そしてその構造は、北海道庁に限らず、多くの自治体や、場合によっては民間組織にも存在しています。

“使い切り文化”は、単なる怠慢ではなく、制度と組織防衛が生み出した一つの帰結なのかもしれません。

以上、単年度予算主義が生む“使い切り文化”と“積算根拠”ついてお知らせいたしました。
何卒よろしくお願い申し上げます。

令和8年5月10日

この記事は、元道庁職員としての個人的体験と見解に基づいています。
行政・公務員の世界に関心のある方の参考になれば幸いです。

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