【観察記録】立候補予定者説明会に見る形式主義の極致について

北海道庁

関係者各位

いつも大変お世話になっております。
元道庁職員鈴木邪道でございます。
今般、衆議院議員総選挙を巡る報道や各種手続を眺める中で、あらためて行政手続と政治参加の関係について考える機会がありました。
標記の件につきまして、過去の行政実務に携わった際の記憶を基に、下記のとおり申し述べます。

選挙事務は誰が回しているのか

私が某振興局に勤務していたころ、国政選挙が行われるたびに、選挙管理委員会事務の応援に駆り出されることがありました。
本庁では選挙事務は選挙管理委員会専任の職員が配置されていますが、振興局では地域創生部地域政策課の市町村係が業務を取り仕切っています。

北海道選挙管理委員会事務局オホーツク支所 - オホーツク総合振興局地域創生部地域政策課
北海道選挙管理委員会事務局オホーツク支所 キャプション お知らせ ・選挙人名簿登録者数(令和3年9月1日現在)を掲...

私は市町村係ではなかったのですが、いざ選挙が実施される運びとなると、各課より数名人が駆り出され実務を分担します。
開票事務や期日前投票の補助、そして今回お話しする「立候補予定者説明会」の運営補助も、その業務の一つでした。

「立候補者予定説明会」という名前と現場の空気感

“説明会”という名称から受ける印象とは裏腹に、会場の空気はどこか最初から固まっています。
そこにあるのは「これから政治に参加しようとする人を迎える場」というよりも、「既に出ることが決まっている人を事務的に処理する場」に近いものでした。
会場入口には長机が並び、受付担当者は淡々と名簿を確認します。
訪れた人物が誰であれ、まず聞かれるのは氏名と所属、そして、

「今回、立候補される予定でよろしいですね?」

という確認です。
この問いかけに、疑問が挟まれることはありません。

しかし、おかしな話だと思いませんか?
あまりにも自然に、立候補が当たり前の前提として発せられるからです。
その場にいる誰もが、「そういう場なのだ」と無言のうちに理解させられます。

少し言葉に詰まったり、「検討中なのですが」と答えたりすると、受付の手は一瞬止まります。

ですが、だからと言って

「では参加できません。お帰りください」

と言われることはありません。
代わりに、微妙な沈黙が流れます。

拒否はしない、しかし歓迎もしない

「資料はこちらになります」
「説明は候補者向けの内容になりますが、よろしいでしょうか」
「本日は候補者向けの説明が中心になりますので、実際に立候補される方向けの話となりますが…」
出馬を前提とした資料構成になっていますので、その点だけご理解ください」
「供託金というものがあり、お金の用意が必要となりますが、ご準備等は出来ているでしょうか

そうした言葉が重ねられ、結果として、来訪者の側が居心地の悪さを感じ、自ら身を引く
その流れを、私は何度か目にしました。

重要なのは、誰も明確に拒否していない点です。

「出ないでください」

とは決して言わない。
なぜなら、それは参政権の侵害になり得るからです。
だからこそ、制度は非常に“正しい”形を取ります。

拒否はしない。排除もしない。

ただし、最初から「出ることが前提」の空気を作り、例外を例外として扱うだけです。

出席した瞬間、公人にさせられる

それは法的な意味での公人ではありません。
しかし、扱われ方としては、ほぼそれに近い状態に置かれます。

説明会の開始前、名簿に名前と連絡先を書かされます。
これはそのままマスコミ向けに提供される資料となり、手に渡った瞬間あらゆる手段を使ってマスコミの方々が名簿の人物を調べ上げてきます。

つまり、「説明会に出席した」という事実そのものが、「候補予定者である=公人」という扱いに半ば自動的に接続される構造になっています。

この構造に対して、現場の職員が疑問を持つことは、ほとんどありません。
なぜなら、それは「規程どおり」だからです。
前例もあり、マニュアルにも沿っている。
しかし、冷静に考えれば、これはかなり歪な状態です。

本来、候補者予定説明会とは、政治参加を検討している人が制度を理解するための場であるはずです。
ところが実態は、「参加した時点で、もう一歩踏み込んだ存在として扱われる」場になっている。
結果として、

  • 少し話を聞いてみたいだけの人
  • 制度を知りたいだけの一般住民
  • 政治参加を迷っている段階の人

こうした層は、事実上排除されます。
制度上は開かれているが、心理的には閉じている、それが実態です。

形式は守られるが、倫理は抜け落ちる

行政の立場から見れば、言い分は理解できます。
選挙事務はミスが許されない。
マスコミ対応も含め、情報は整理されていなければならない。
曖昧な状態を嫌うのは、組織として自然です。

しかし、その「自然さ」を積み重ねた結果、人を人として扱う感覚が、どこかで抜け落ちているようにも見えます。

制度を守っている、規範にも反していない。
それでもなお、一般住民が政治に触れる入口を、実質的に狭めている。
この状態を、倫理的に健全だと言い切るのは難しいでしょう。

私は現場にいた人間として、当時この構造を積極的に疑ったわけではありません。
むしろ、「そういうものだ」と受け止め、淡々と業務をこなしていました。
それもまた事実です。

だからこそ今、外に出た立場から振り返って思います。
行政は、規範を守ることには極めて忠実ですが、人を扱う制度としては、しばしば不器用すぎる。
形式主義は、組織を守りますが、それは人の心情を切り捨てることと表裏一体です。

政治参加とは、本来もっと曖昧で、逡巡を含んだ行為のはずです。
その曖昧さを受け止められない制度設計のままでは、「関心はあるが一歩踏み出せない人」を、これからも静かに排除し続けることになるでしょう。

以上、観察記録として申し述べました。
本稿が、行政と政治参加の関係を考える一助となれば幸いです。
何卒よろしくお願い申し上げます。

令和8年2月1日

北海道庁生存戦略部
異端企画局
内部是正推進課非公式記録整理係
主事 鈴木邪道

※この記事は、元道庁職員としての個人的体験と見解に基づいています。
※行政・公務員の世界に関心のある方の参考になれば幸いです。

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